Baronkun’s diary

何の取柄もない会社員の平凡な日常を綴った日記です

おたく評論家・宅八郎さん、死去(57歳) オタクという言葉を世に広めた人でした。

若い人は知らないかもしれませんが、オタク評論家の宅八郎さんが、今年の8月に亡くなられていたそうです。


元気が出るテレビ 宅八郎 『アイドルになりたーい集会』


メディアが報じない宅八郎さんの経歴、永眠の理由、国籍、本名などに涙が溢れて止まらない

以下スポーツ報知記事より

おたく評論家やコラムニストとして幅広く活動した宅八郎さん(本名・矢野守啓)が8月11日に都内の病院で脳出血のため死去していたことが4日、分かった。57歳だった。親族が明らかにした。

 親族によると、5月に都内の自宅で倒れ、病院に搬送された。小脳からの出血で、当初は意識はあったという。その後、別の病院に転院したが、意識不明の状態が続き、8月11日深夜に亡くなった。音楽に詳しい宅さんは最近では、2017年に亡くなった作曲家・中西俊夫さんの作品について論評したり、追悼イベントに参加していた。インターネットが急速に広がる中、「情報がタダで手に入る時代になり、昔と違って、活字の本が売れなくなった」などと嘆いていたという。

 宅さんは静岡県浜松市生まれ。法政大在学時は漫画研究会に所属した。1986年、CM制作会社に入社後は白元の「ダニ殺し」のCMを手がけた。その後、退社し、フリーライターに。おたく文化への注目が集まる中、90年から「宅八郎」を名乗り、トレードマークのマジックハンドを持ち、長髪という独特の風貌で活躍。出版社などを舞台にした騒動もあったが、鋭く精緻な論評は好評だった。「天才・たけしの元気が出るテレビ!」「とんねるずの生でダラダラいかせて!」などで「おたく評論家」の肩書で様々なメディアで活躍した。

 2007年4月に渋谷区長選に立候補し、「渋谷をもう一度、萌(も)える街にしたい」と訴えたが、5605票(4人中4位)で落選した。主な著書に「イカす! おたく天国」「処刑宣言」(太田出版)、共著に「オウム大論争」などがある。

以上引用終わり

 

私が高校生の頃でしょうか、「たけしの元気が出るテレビ」に登場した時の風貌は強烈に記憶に残っていますね。

私の中では、オタク=宅八郎=ちょっと気持ち悪い(すみません)という図式が出来上がるくらいインパクトが凄かった。

いまでこそ、オタクという言葉はグローバルに広がり、ポジティブな受け止め方をされることもありますが、当時はネガティブなイメージでした。

それでも、宅さんは、テレビの画面上では、出演者や観客から何を言われようと、堂々とされていて、凄いなと思った事も事実です。

経歴を見ればわかる通り、頭の良い人だったんですよね。それでも、ああいうキモいと思われるキャラをテレビでは演じていたのでしょうか。

彼はオタク文化を世に定着させた功労者の一人だと思います。

どうぞ安らかに。